20201231

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例えば高知県の、例えば高知市より少し小さな町、例えば香美市のあたりに、美しい女がいるとする。

女は、そこらの芸能人より遥かに美しい。そして周囲の人間もそのことに気づいている。それはそうと彼らは各々の生活に集中している。クラスメイトの女たちは、そのことに気づきながら毎日登校前の化粧に励んでいる。インスタグラムを一日六時間眺めている。クラスメイトの男たちは、そのことに気づきながら日夜部活に励んでいる。エロ動画を違法ダウンロードしている。

美しい女自身も、そのことに気づきながら日々を普通・・に過ごしている。テスト前には徹夜をする。アップルミュージックでずっと真夜中でいいのに。を聴いている。サッカー部のエースの、背が高いだけが取り柄の、顎が無いので顔全体に締まりが無いが一応その地区限定では一番いい男とされる同級生に恋をしたりしている。付き合って二ヶ月で別れたりする。総じて、彼らの日々は何事もなく進行する。このようなことは実際にある。頻繁にでは無いが確かにある。

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美しさが抽象されない状態。誰も美しさを抽象する仕方を知らない状態。金閣寺は寺であるから美しいのである。観光地としての金閣寺は悪趣味なハリボテ小屋である。

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来年は具体的なことをとにかく沢山する年にしたいですね。とりあえず、習字をはじめよう。

20200830

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ここのところの晴れ間続きで、月相の変遷がよくわかる。

三日月は軽やかにその半身を露わにし、一日とて休まず三五夜に向かう膨張へ移行した。

事実として!事実として天体は運行するのである。

天体は運行し、時間は進行する。心臓は拍動する。

ところが、である。ところが、僕はまだ若者で、街には風が吹いている。

これは一体どういうわけか。月は不機嫌な果実のように僕のいく先を照らしている。

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20200530

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午前中に始めた浴槽の掃除は正午を過ぎてようやく一段落ついた。

青い空と塩素の香りは私が生涯経験した全ての夏の記憶と強く結びついている。

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塩素の香りだけではない。黒い手すりに反射する太陽光線、遠方で響く道路工事のくぐもった振動、背中に張り付くシャツの湿度、これらは全て現在進行する出来事でありながら、過去のある夏の一場面により強く相関する。

私がこれから経験する夏は、その細部に至るまで、過去のどこかで既に経験した夏であって、実は私は、夏という巨大な唯一の実体を、生涯かけて、違った側面から経験しているに過ぎないのかもしれない。

夏が来るたび、私はしばしばこのような奇妙な着想に取り憑かれる。

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今年も夏が来る。近所の雑貨屋に風鈴の売られているのを見かけた。

昼食を済ませてから、小さいのを一つ買いに行こうかしら。

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20200422

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春も半ばを過ぎ、路上には躑躅が、庭々には藤が満開しつつある。 躑躅というのは不思議な花で、その鮮烈な色あいが植物というよりむしろ動物、それも肉食の猛獣のような緊張を感じさせる。

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中国古典では躑躅と書いててきちょく(スル)と読ませることがある。ためらい足を止める、今で言う躊躇と似た意味あいである。 確かに、夜道で不意に躑躅の小籔に出くわすと、ハッと体が硬直してしまうときがある。

肉食の猛獣に睨まれたかのような、妙に不安な感じがするのだ。 無論、これらは浅学者の強引なこじつけであると断っておく。わたしは躑躅(てきちょく)と躑躅(つつじ)の関係など知らない。

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ところで、今回の騒動で大学の建物が全面的に閉鎖してしまい、総合図書館に通うこともできなくなってしまった。本を読めないとどうしても脳の働きがぎこちなくなる。

通販で買うのは気が進まなかったが、ついに先日、意を決して「樋口一葉の手紙教室 (ちくま文庫) 」の中古本を注文した。これは樋口一葉が生前唯一出版した「通俗書簡文」の解説本で、敬語の使い方に悩んだときに引ける本として、以前から手元に置きたいと考えていたのだ。

敬語は難しい。難しいのに、インターネットには意味不明なビジネス敬語が跋扈していて調べれば調べるほどに混乱する。しかし、樋口の使う敬語なら間違いはないだろう。読み物としての面白さも十二分なはずだ。週末には届くとのことで、読むのが待ち遠しい。

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20190526

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歯ブラシを捨てるのが苦手で、毛先が潰れてきても使い続けてしまう。

つい昨日までその役目を忠実に果たしていた道具が、歯を磨く以外何の喜びも知らない道具が、或る日突然捨てられる。直ぐに新しい歯ブラシが補充される。ゴミ箱の歯ブラシのことは誰も気にも留めない。世界は進行する。

この摂理が、あの頭でっかちの、くたびれた、ひょろりと長い日用品の場合に限って特に、なぜか私の身に沁みる。

どうにも落ち着かなくて、ティッシュに包んだりして、決して放り投げたりせず、そっとゴミ箱の隅に置く。

いつかわたしが捨てられる時も、誰かこのようにしてくれるかしら。

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20190206-0207

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20190206

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御殿下を出ると雨が上がって空は晴れていた。薄く霧のかかった構内の空気は清澄で冷えている。

遠く霧の中のビルに西日が差して、精緻な点描画のように美しい色あいをしている。

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20190207

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目を閉じて太陽を見ている

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湯島の天神に梅見に行った。時期が早くまだつぼみだけの木が多かったが、境内いっぱいに梅の匂いが漂い、閑静な午後の空気に色を添えている。

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時期が早くと言ったが、じつはあえて早く来たのである。やはり梅はつぼみがいい。今にも破れつしそうに膨らんだ赤と白のつぼみ……。

花は一つ二つあるのはいいが、それ以上はいけない。無数のおしべは虫のようで、見ていて気持ちが悪い。

つぼみの数も多すぎるのはやはり駄目で、細い枝の先にちらちらと付いているのがいっとう風流である。

背の低い、ゴツゴツと老人の腕のように太い幹に細い枝。その先に膨らむ若々しいつぼみは、ひび割れた山から吹き出る溶岩のように、生命の熱量を感じさせる。

これが私の「梅観」である。ところが、東側の鳥居の内側すぐに咲く白梅についてはこの限りではなかった。

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六、七分咲きだろうか。すでにたくさんの花が押し合い咲いている。花弁は開ききることなくしとやかに咲いていて、揃って生えた純白の花糸は流水のよう。

少女のように健康な美しさを湛えたその白梅に、私はしばらくの間釘付けになっていた。

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