20180225

 

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友人の家へ向かう道すがら、わたしは奇妙な専門店の前で立ち止まった。(”はかり”屋というものがあるらしい。)

街角の、狭い路地の、小さな店のショウケースには、皿に乗せると針の動く (”はかり”といえばまず人々が連想するであろう)古い”はかり”から、電池で動く精密な”はかり”まで たくさんの”はかり”が並べられていた。

掃除のされていない 埃の積層したガラス窓が、晩冬のやわらかい陽をうけて ビロウドのように上品に光沢している。(”はかり”屋と言うのは初めて見たが、これは品揃えのよい、上等な店なのではないかしら。)

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所狭しと並ぶ”はかり”により絶えず計量され─観測される店内の空気は、流体というより固体らしいのが、店外からでも確認できる。

──固体らしい空気とは、これは、単なる文学的修辞ではなく もっと論理立てた演繹的推論に基づいた表現である。それを読者に了解してもらうために、わたしは今から一つの思考実験を用いて”はかり屋”に充満する空気がrigidであることの証明を行いたい。

証明に先立ち諸君にはまず、店の奥で座って 電卓を弾いたり、新聞を読んだり (何をしていても良いのだが、とにかく)とびきり退屈した一人の男が座っているのを想像してほしい。彼は”はかり屋”の店主である。店主を注意深く観察していると、 そらきた、大きなあくびを一つ。

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【”はかり屋”に充満する空気がrigidであることの証明】

永遠にも似た大あくびで吸い込まれ 吐き出された空気が、わたしやあなたの周りに漂うような、普通の空気─三次元圧縮性粘性流れであったら、果たして何が起きるか?この背理の思考実験が本証明の肝である。

店主のあくびは、渦度を持って、四方に拡散されて行く。粘性によるエネルギー散逸を考慮しても、流体は、店内にひしめく”はかり”のどれかひとつに到達する。そう、最初はたったひとつでいいのだ。たったひとつの上皿はかりは、その”皿”に流体の運動を検知して、針を振らす。もちろん、単なる空気の流動である。この振れは目にもとまらぬ微小なものだろう。その振れはしかし、針の周りの空気を押しのけて 新たな流体の移動を促す。まだまだ小さい移動だ。きっと、両隣の上皿はかりの針を振らす頃にはほとんど消え失せて居ることだろう。だが、考えてみて欲しい。初めは揃って沈黙していたはかりの針が既に一つ振れ、二つ振れた。次は四つや八つ、ひょっとすると(配置によっては)もっとたくさんの針が振れるかもしれぬ。

「いや、電子はかりだってある、あれには針が無いじゃあないか。」※鋭い洞察である。しかし電子はかりは音が鳴る。君、音は何を媒質に伝達するか知って居るかね?そう、空気である。ピピピピピピ、規則的な電子音は一定周期で空気を揺らす。空気が揺れれば針が振れる。あとは同じことだ。

こうなってしまえば、既に事態は店主の手に負えない。あちらこちらで振れる針たちが起こす擾乱は 渦を作り、渦同士は混成し、店内を吹く風となる。風はさらに大きく針を振らす。これを有限時間繰り返してみよ。小さな店内に嵐のごとき大風が吹き乱れるのは明らかではないか。具合が悪ければ、壁にかけたバネはかりが風に煽られ、落下して、その下にいる店主も無事ではないかもしれぬ─。

再び店内に目を向ける。大風の気配はわずかもない。上皿はかりも、電子はかりも、先ほどと同じ場所で、同じように沈黙している。バネはかりはきちんと壁にぶら下がっているし、店主は、ア、懲りずにまた大あくびをしている!

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以上の推論によりわたしは、”はかり屋”の店内に充満する空気が固体の性質を持つ──店主のあくびは、砂浜に落とした貝殻のように 柔らかな緩衝作用を受けながら ゆっくりと埋没していくだけである──ことを確信するわけである。

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どれくらいの間ショウケースを眺めていただろう。そういえば、下宿には料理用のはかりが無かった。乾麺を計量したい時いつも難儀していたっけ。(ここで買って行こうかしら。)

扉を開けた瞬間、キメの細かいビーズ状の空気が 路地に撒き散らされる様子を想像する。(はかりは今度デパートで買おう。いや、はかりなんて買わないほうがいいかもしれない。わたしの下宿の壁にはお気に入りのポスターが掛けてある。あれが破れでもしたら、大変なことだ。)

 

陽光は依然、大きな入射角をもって路面を撫でている。

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